liquid universe

「Je veux dormir pour toujours.」

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“どうしてそういう子になっちゃったんだろう”
そういう、とは、ワガママで、学校に行きたがらなくて、体力がなくて、お喋り好きだけど、小心者で度胸がなくて、好きなことだけして、自由で、ひきこもりで、そういうのを恥とも思ってなければ後悔もしていない、ってところ。
つまりは、この私のことです。
どうして、というのはもはや疑問ではなく、残念、に近い、諦めのようなニュアンスで。
当時の荒れてた自分を(いろいろ語弊がありそうですが)(グレてたとは違う)、なんとかしよう、なんとかしなければ、という必死さ
反して好きなだけ怠惰を貫き、今現在もさして反省の色が見えないどころか開き直ってるかのような姿に対する、呆れ
そういうものからくる母のつぶやきです。

愛がないとは思わない。
がっかりする気持ちもわからんではない。
たぶん、とても、“普通”を望んでいて、それを尽くぶち壊してくる我が子に、親として、腹立たしく悔しく思っていただろう。
大人になった今も、のらりくらりしていて、目下就活がうまくいかない様子を、やきもきしながら見ていると思う。
今まで困ってきたこと、今こんなに苦労しているのは、過去が順当?にいっていないからじゃないかと。
それは自分たちの育て方が、とか、自分由来の性格が、とか、考えすぎたりもしてるんだろうけど。

正直、私もわからん。そんなことは。
目に見えるカラダのことに関しては、運動してきてないからやとか、運動音痴は遺伝やとか、説明は付けられるけれど。
どうしてそう思うの?どうしてそんな考え方なの?と訊かれても
そう思っちゃうんだからしょーがないじゃん?としか言えない。
「そりゃそうだよね、自分でもわかんないよねぇ」って同調してくれて、そんなこと訊かれるの?って逆に疑ってる人もいたけど
ぃやぃや、これがまた、出会って仲良くなったら訊いてくる人、結構多い気がするよ。
どうして、そんな風におもっちゃうの?そんな考えもってるなんてどんなにか辛いことがあったの?って。

私は至って平凡な家に生まれて、決して裕福ではないけど、いうて見窄らしいほど貧乏でもない、
両親ともども健在で、姉妹がいて、それなりに学校には通えて、成績も最下位は恐らく無い、
衝撃的な事件や事故にも見舞われず、友達もいて、恋もして、時間を割ける趣味もあって、
本当に、普通の、人生なの。
だから、何かのトラウマとかで、性格ねじ曲がってる、ってわけじゃない。
それでも、この考え方なの。
おかげで、他人からは変わってるって言われたり、友達からは、それは個性との褒め言葉、
家族には、それはちょっと常識はずれよ~なんて、冗談めかして言われたり。

社会や学校、他人に対する考え方は、人それぞれ。
それは自分も、親も、友達も、わかってはいるはず。
それでも、私が“落ち込んでるはず”の時に平気そうに見えたり、後悔しそうな場合にケロっとしているのを見て、やはり常識や普通と“ズレてる”と感じるらしい。
本当はこう思っていてほしいのに、“普通”でいてほしいのに、捉え方がなんとなく違う、感情の向きが違うのは“なんか変”と思ったりする親心。

実は昔の方が、わりと傷つく言葉をさらっと言われたような気がする。
今はお互いに、というかみんな年をとり、許容範囲が広がったのかもしれない。
それでも、“なんでこんなんなっちゃったかなー”と、育ってしまった私を見て言う。
そう言われましても~って感じだけど。

思ってしまうこと、感じることの理由は説明できない。
それを表に出すか出さないかは選べるけれど。
思わず溢れてしまうことが悪い癖なら直さなきゃならないし、
何を考えてるか全く表現しないなら、この先どういう未来が待っているんだろう。わからない。
共感されなくてもいい、否定されなければ。
否定されてもいい、共感してくれる人がどこかにいれば。
孤立した肯定は、どうやって存在し続けられるんだろう。


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余談。

一人称をとりあえず私に。
親の前で、名前以外で一番使っているであろうから。
断定することは違和感もあるけど、素の状態の呼び名を決めてしまったほうが、楽、かもしれないと思ったから。