liquid universe

「Je veux dormir pour toujours.」

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前回の続きっぽいことかも。

以前にも増して、自分とはという問に対して、曖昧に、濁しにかかる自分がいる。
前提として、いろんな所いろんな立ち位置に自分がいて、それぞれが好き放題しゃべっている、その状態を“自分”としている
ってのが子供の頃からのなんとなくの概念。(語彙力なくてたぶん伝わらんけど、別にいいや。)
あくまで己のそういう感覚、において、またもやもやもや考えるって話。

性格が、性別が、外見が、好みが、どんなものかということを、
ゆる~く、ぼや~っと、曖昧~に捉えたがっている。
皆もそうかも、そんなもんかも、とは思っているんだよ。
一貫して明るい性格なんて存在するのかな、とか、性自認や嗜好が定まってない人たくさんいるんだろうな、とか。
不変を信じてはいないので、人間、当たり前に日々しぬまで何かしら変化していくものだとは思うのだけど。
そうそう変わるもんでもない部分と変わり続ける部分とがあるでしょ。
その境目も曖昧で、自認しているものがいろいろと不安定でゆらゆら。
自分だけ、とは思わないけど、最近の自身の思案について、少し気になるところではある。

分けることが苦手、ということかもしれない。
メジャーかマイナー、常識非常識で図らずも分けてしまうとき
性差や科学的根拠や目の前の瞬間的事実で、そこは越えられないと実感するとき
ものごとをより複雑に感じ、個や集団について迷い悩んでしまう。

定義を求められると不安に感じる。
何かしら、区別分別して考えなければならない
なのに線引きやグループ分けを極端に嫌がる場合がある。
そこに当然矛盾はある。
自身も周りもそんなつもりはないのに、優劣や勝ち負けのように扱われていると感じて、もやもやしたり。

前提として話した“自分”でいうと、
例えばひとつの事柄に対しての考え方の違いで、自分A、自分B、C...D...と複数存在している気でいる。それらまとめて自分であると、普段はそのまま、気にも留めていない。
が、唐突に己が当てはまる枠の中に入るべき、とされたとき、どうしたらよいのかわからず右往左往してしまう。
だって、AもBもCもDも、自分、なんだもん.....。
当てはまる全ての枠に入ることを希望するも、己は唯一、分身できないから不可とされ、結果どこにも収まらず、そもそもを達成することができない。

こういう場合の、不確定が、不透明さが、悪いとは全く思わない。
だからこそ、曖昧を選びたいのかもしれない。
何故、今?何故、強く?とは自分でも突っ込みたいところなんだけど。

性別や定型不定型からくる“らしさ”や“○○っぽさ”、選択肢の種類について、
少し敏感になっているのは、最近の興味と、自分の生理現象からかと。
あれ、自分の“本当の好き”ってこれじゃないのかも?って考え始めたり、このカラダ嫌いだーって毎日思ったり。
今の性や個の質を好きになれないからと、異なるものにチェンジしたところで、自己肯定感の低さはたぶん変わらない。
生物学上の区別や誰かの作り上げた“らしさ”、他者とのギャップにも囚われず、
かわいい かっこいい うつくしい を体感したいし体現したいものだね できるなら
本質、個そのものの本来の魅力、というのかな。
感情のプラスマイナスや、美しさ格好良さなどの感覚を、そういう“差”以外のところから、得たいという欲求がある。

区別は曖昧に、個は明確に、とは、これも理想論かな。
自分にも他人にも、求めてしまっていると、単なるワガママ、かもしれない。