liquid universe

「Je veux dormir pour toujours.」

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このまま、
ここは自分のもやもやを書き綴る場所になって行きそうだなー。
初めに、誰かの為になんて書けない、と言った通り
これによってデトックスやリラックスが叶っているかというと
断言はできないんだけど。

雑音が雑音以上の力を持ち、自分のコントロールを失いそうになると、ひとりになりたくなる。
全くの孤独にはなれないから、誰かの声に影響されながら、良いも悪いもゆらゆらする。
他人の何気ない言葉が、考え始めるきっかけになることがほとんど。

近頃のむにゃもや。
メディアで取り上げられることや当事者が声を挙げることが増えた気がするし
自分が内側で考えていることを、そういうものと照らし合わせる機会も、もしかしたら増えてきたのかもしれない。
LGBTQのこと。精神疾患のこと。発達障害のこと。とか。

人間とは、性とは、精神とは、自分とは、と昔からたびたび考えていたと思う。
と、同時に、深く考えないようにしよう、と努めていた、とも思う。
単純に、疲れるから、不毛だから、明確な答えが出せないから、そこまでの知識が無いから、欲求が続かないから、とかって。
(そういう理由、というわけではないが、子供の頃からわりと悶々と考える癖があって、同級生たちとの距離の取り方に迷っていた。自分の考えていることが共有しにくそうに見えると口を噤んだし、みんなといる時はそういうことを考えないでおくことも学んだ。うちでひとりで考えたり、ネット上の会ったことない仲間?に吐き出したり、というのは、その頃に始まり今に続いている。)
何かについて考える、というのは、別に何か解決法を求めて、ということじゃない。
むしろ考えている過程そのものが癖なのであって、結論に辿り着く快感を、実はそんなに知らない。

先に挙げた言葉そのものが、自分がそれらを知った当時より今、マイナーからメジャー、ざっくりいうと身近になりつつあるのかな、と感じる。
実際に世に広く知れ渡ったのか、自分が経年するに従って、経験と感度の中で、そう感じているだけなのか、は、わからない。

それぞれの事象を、問題、と捉えるのは好まない。
無意識の中に、日常の中に、当たり前の自由の中に、在るのがきっと理想。
だけど理想を前ににこやかに、朗らかに、前向きにいられないのが自分。ひねくれてるね。
だからたぶんずっと考える。考え続ける。飽きることなく。不毛なまま。何も片付かないまま。
それだけといえばそれだけだから、なぁんにも、社会の役にも立たないし、誰かに何かに影響与えるでもない。
自分にとってのもやもやって、きっとそれだけのことで、結局自分のためにだけやっている、考えるという自分勝手だ。

そういえば、ココもただの自分勝手だった。
子供の頃からの、思考という作業の延長線上にあるココ。
まだ、続けられそうだね。