liquid universe

「Je veux dormir pour toujours.」

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いつまでも迷っていることのひとつに
自らの一人称、がある。

社会人として性別立場関係なく、“わたくし”という機会が増えている自分。
就職活動を経て、言い慣れてない感が少しは取れてきたかな?とも思う。
日本語としての響きも好きよ。四文字で、落ち着いた感じもあるし。
もちろんTPOとか大事にしましょうという教育の中にいるので、
場面ごとに使い分けているつもりではあるけれど。

今迷ってるって言ってるのは、ココとか仲間内とか、というプライベート空間での話。
自分を指す言葉がなんであろうが、他人にはさして重要ではなく、
なんだったら「自分の好きにすれば」の一言で終わる、もうどーでもいい話ナンデスガ。

何を使ってみても、どーも違和感。
このモヤっと感は、なんなのでしょう?
ずっと使い続けても、なんかちょっと、引っかかる...みたいな。
詞や物語において、その内容から、私や僕・あなたや君を使い分けることはあります。
自分の生活の中にも、男の子っぽくしてみようとか、女性視点の物言いだなとかって、日々己を表す感覚が変わるように。
呼称は表現の一部であって、それでその人の本質が変わったり消えたりすることはないけれど
ニュアンスや、見えないものを見える気がするように、また見えてるものを見えなくするように、効果として、
こっそり、だけど確かに、必要な部分を担っているのかな、とも思います。

他人から見て(読んで)。
“あたし”“わたし”と言い続けても、女性としての存在を認めて、何の違和感もなく受け入れられるでしょう。
“僕”“わし”と言い出しても、表現上のチョイスだとして、別に気にも留まらなそう。
(もしくはちょっとイタイと思われるか...)
結局、他人には至極ど~でもいいことであるに違いないので、
自分が納得するかどうかの、話なのです。えぇ、くだらない。←

ああ、どこに向かっていくのかな。
こんな迷いはほんの些細なことで、考えなくても時間は経つし、
リミットは近付いてくるし、もっとやるべきことが他にある。