liquid universe

「Je veux dormir pour toujours.」

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すべては自己満足、とはいいながら、
自分を喜ばせるのは案外難しい。

ちょっとした幸せに気付くこと、それを誰かと分かち合うこと、
それらだって決して普通のことではなく、無意識ではなく、
努めて とか、頑張って とは、ちょっと違うかもしれないけど、
能動的に、求めていった結果なんだろう。


あたしは飽き性で、何にしても継続が苦手で。
ネットと出会ってから日記(ブログ)というものは何度も作っては消し作っては消し、
いろいろな“登録”をしてみるけど、ひとつのところに留まったことはない。
リアルでも、習い事を最後までやり遂げたことはないし、
何処かに所属することも、自分の意志の有る無しに関係なく、辞めてきている。
自分の決定であっても、後ろ髪ひかれる思いは何度もあるんだ。
いつも、すぐ切り替えて「はいっ次ー」ってやってきたわけじゃない。勿論。
それでも懲りずに、ハジメマシテサヨウナラを繰り返す。

いいかげん、治したいところだけど、
一生変わんないだろうな~って気もする。
実際、このBlogも、生活も、新しく始めたもんだし。

何がしたいんだろう、って、自分でつっこむよ。
いろいろなSNSに囲まれて、いろいろな人間の一部を観察して、
いろいろな服を手に取り、音楽を聴いて、何もせずひきこもって、
多くを知った気になったり、無知に絶望したりする、
この“あと”は何になるんだろうって、思う。

同年代の人たちが、人生を謳歌しているというなら、
それを羨ましい、と言うより、それが普通だ、と思う。
実際、みんながみんなYesではないだろうし。
若くても、かなり年上でも、結局そう。
満足っていうと、少数派かもしれないし、
大概のひとがある程度は当てはまるのかもしれない。

「いつまでも子どもでいないで」っていう親心。
それはわかるけど、どうしてみんなのいう大人という生き物っぽくならなければならないの?
大人っぽい子どもがかわいそうっていう人は、子どもっぽい大人ももちろんかわいそう?
こういう思考が“屁理屈”なんだろうし、
よもや自分がガキであることを正当化してるように見えるなら、
それは心外だ。
自分の中で、様々な心情が分裂してる自覚はあるから。
あたしがあたしに失笑してる時もあるんだよ。

何を始めても、何を好きになっても、
「これが最高値だ」って思うことはない。
一瞬の安堵感の後には、いつも虚無感が待っている。
自分を大切に と言われると、誰かを大切にしなければという使命感が出てくる。
自分で自分をHappyに と言われると、繰り返してきた出会いと別れの中に探すけど、どんな姿かわからないから、見つけられない。


誰の為にこういうこと書くかっていうと、間違いなく自分の為なんだけど。
どこかで、「続けてよかった」って思うものに出遭うものかしら?

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