liquid universe

「Je veux dormir pour toujours.」

4

 

どうも弱い。

はがゆい気持ちになるのは、他人のせいではない。

何かをしでかしたからでもない。

何もしなかったから、だ。

 

どんなにどんくさいとはいっても、

こんなに、もたもたしていることに、

自分で苛々を募らせるのは、

もしかしてはじめてかもしれない。

 

社会がどうだとか、

電話の向こうがどうだとか、

画面の中とか、

どれも曖昧な存在に感じるときがある。

夢みているわけではないのに、怖いと思ったり

悲しい、と思ったり

すぐに泣いたり、少し笑ったり

 

これまでの時間を思うと、

納得の機会はそう多くはないということ、

不思議、と口にした後の自分の行動すらよく覚えてないこと、

に気付いた。

 

追求 追究 することをやめたら、

きっと単調な世界だ。

それも悪くないけど、自分は、

たぶん考えることをやめられない。

 

3

 

完全には笑えませんね。

 

5,6年前の自分発信物を見つけた。

こうやって振り返れるから、やっぱり記録はとっておくべきだなぁと思う。

 

当時の日々の生活はほぼ綴られてなくて、

心の中を吐露するものばかり。

 

 

彼女は、とっても苦しそうだった。

毎日、落ちないように、落ちないように、気を張っていて

でも、足元から少しずつ、沈んでいく感覚。

不安定な者が不安定な者と一緒にいて、ますます安定を欠く。

本当は早くに気づいていたけど、気づかないふりをしていたのかも。

 

今になって、「それはないわ...」と思うような発言や行動がある。

だけどその時はそれを最善だと(または苦肉の策だと)思っていたんだから仕方がない。

自分が自分を理解できなくて苦しい

誰にどうしてほしいかもわからない

息をするように、ネガティブを吐いていたけれど、

それが解毒になることはなかった。

 

今だって自分のことは大層ネガティブだと思ってるし、

文面見てわかるだろうけど、はっちゃけた性格ではない。

(かと言って落ち着いてもいない。)

でも、あの頃の思考は、今よりももっと攻撃的だった。

 

彼女は記憶喪失になりたがってた。

素直に何でも話すのをやめたい、正直者をやめたい、と言っていた。

好きな人に好きになってもらわなくても、自分が好きでいれば十分だ と思い込もうとしていた。(実際は歪んでたけど。)

意図せぬ誤解が多々あって、人間っていう存在自体に敵意を持ちはじめた。

でも都合よく、好きな人は除外されてて、その矛盾に引き攣っていたり。

何にでも、よく、傷ついた。ほんとうに、いろんなことに。

 

「お前に傷つけられた」という言葉にかなり傷ついた。

今にしてみれば、自覚のない凶器だったんだ。お互いに。 

そして理由を知ろうと、真意をしろうと、必死になってしまった。

不安定に不安定をぶつけてしまった。その結果は、当然のように、壊れる。

好意も、被害妄想も、個々別々で、それ以上もそれ以下もない、それだけのものだ。

誰もかれも自分が一番大事で、それらはとても正しかった。

 

当時も今も思うのは、どれも故意ではないということ。

言いたいことを自由に言う、聞きたくなければ耳を塞ぐ、

その上で、喜んだり傷ついたりするものだ、あくまで、“勝手に”。

 

被害者意識を自覚できずに、トラブルをいつくか抱えていたことは

やっぱり不安定の証明であるし、

無自覚な凶器や、思い込みをスルーする余裕がないところも、

やっぱり健やかな情緒ではなかったということだろう。

 

人生で初めて、「出会わなければよかった」と思った出会いがあった。

「出会うタイミングが違っていれば...」とifの話をしても、不毛。

あからさまなのがこの件なのであって、それ以外にも似たようなことは多々あった。

人生全体でみれば、往々にして、“よくあること”

今はだんだんとそう思うようにしつつある。

 

思い悩むことと言えば、たぶん、ほとんど変わり映えしない。

いつも、似たようなことが、自分の中で、心の中で渦巻いていて、

登場人物が代わるだけで、内容は、気づけば繰り返しみたいなものだ。

 

でも、あの頃とは、少し、でも確かに変わってるものがあるとも感じる。

あのドロドロした感情を読んだとき、何故かちょっぴり笑えたから。

とってもしんどい思いをしてたんだろう、と同情したから。

 

一瞬でも他人事のように思うってことは、当事者じゃなくなったかっていうと

そうじゃない。

過去の自分も自分だから。共感は今も大いにしている。

それに、やっぱりネガティブなんだって再確認もしているし。

 

これから先も、またああいう日々に飲み込まれないという保証はなくて。

感情なら、たぶんいつでも傾く。いつも、結構ぎりぎり。

ただ、全く同じには思わないのでしょうね。

環境も違うし、自分も違っていこう、と思ってはいる、から。

 

2

 

中間地点といえば

安定した中にいるように、聞こえるだろうか

 

中庸といえば

うまく、正しく、やっているように、聞こえるだろうか

 

どこをどのようにどの立場をとっても

どれも、違う気がしてくる

 

時が止まっているようだ、と言われたのさえ

もう少し昔の話なのに、

今は、そう、外見じゃなくて、中身がね、

止まっているように、逆らっているように、

見えるのかもしれない。

 

いろんなものを得ている と、

それは勘違いしていたのかも

大いなる勘違い

手当たり次第に手を出して、沢山を手に入れたつもりで、

満足を感じようとしても、

手放すのが怖くなったり、そもそも手をつけてすらいなかったり

結局は今、とっても、息苦しい、気がする。

 

全部気のせいなのかもって思うときもある。

それは自由な発想で、限界値を見せることばで。

気の持ちようで、何かが変わるなら、

まずはその雑念みたいなものを失いたい。

 

 

1

 

はじめまして。

というのが、きっと初めの挨拶。

何度、繰り返してきただろう。

 

ここじゃないどこかへ、と思いつつ

また同じところへ、たどり着く。

 

書きたいことは、たぶん、どこでだって書ける。

言いたいことは、たぶん、誰にだって言える。

 

長らくお世話になったところ、一瞬の出逢い、

手放して、次へ行くのは

生まれ変わりたい、ということなのかもしれない。

 

でも、きっと、相変わらず、である。

 

根無し草のようにあちこち彷徨うのは

ホームを作るのが、苦手だから。

けれど、帰る場所もなく、寄りかかることもなく、

旅をし続けるのは、とても怖い。

 

出会わなくても、別にいいけれど。

出会ってしまったなら、ありがとう。

まだ、ここにいる、と 記しておきます。

 

去年の夏、終える予定だったものが、

まだ、続いている、それだけです。

 

強がっていたのだろうか。

後悔なんてしない と。嘘なんかじゃない と。全力だった と。

 

次にそう思う時が来るなら、ちゃんと息をしていたい。

コンニチハ、サヨウナラ、は 潔くありたい。

 

何の為にも、誰の為にもならない、何かを書く。

自分の為にもならない、ただの自分でいる。

そうして、放った後の景色を、感触を、未知を、

知ってしまう時が、いつか、いつか、来るならば。

 

感情を人質に、篭ることもある。

感情を囮に、表に出ることも。

気づけば、あの時も、その時も、関係なく、

ずっと、こうだった。

 

ずっと、誰かに、

おかえり、と言ってほしかったんだ。

 

だから、あなたに。

おかえり。

 

いってきます。