liquid universe

「Je veux dormir pour toujours.」

14

壊れた、と思った。

壊された、とも。

 

こういう時、あたしは本当に“信じる”ということ自体を信じられなくなる。

その意味とは、価値とは、目的とは、結果とは、

なんて、巡らせては、削られてく。

 

人間的におかしいことしてる って、

それがそもそもおかしい人間 だったら、

最終的に許されるの?

許すことなく失うものなの?

 

ありえない、と言い切れない哀しさ

何度味わえばいいの

改心なんて、本当は無いんじゃないの、

記憶を失っても、心は未だそこにある

きっと、ほとんど、同じ形で

だから、いつまでも“繰り返す”ことに怯えてる。

薄れても、決して消えない記憶に怯えたままでいる。

 

ひとりぼっちで泣いた。

前に怒りで声が震えたときは、結局誰かの同調を求めて、吐き出して、最後はなんとか笑えて。

でも今回は、誰にも訴えられる内容がなかった。

あたしですら見えないものを、他の誰かに見せてあげることはできない。

傷つけまいと思ってくれてる人に、強がるのは、親しき仲にも礼儀あり だと思ったの。

知っても不幸だし、知らなくても不幸、なら、真実を欲しがったら?...そういうこと。

あの人もその人も正しい。

だから、どれもこれも悲しいんだよ。

 

ひとりで、ぐずぐず泣いて。

でも、会ったときには、何も言わないでおこうと、笑って。

でも、やっぱり苦しくて、無理で。

 

結局いつも通り、あたしが“不安”と名付けるものは、ただの妄想かもしれないけど

こんなに何度も“火のないところに煙はたたぬ”という言葉を実感する日々もどうかと思う。

でも実際、火も風もなくても煙る(ように見える)という状況も知ってるから、

今はただ、ソレが本当にゼロで、取り越し苦労で、妄想は薄まってゆく ということを祈るばかり。

 

13

いつも相反している。

すべてが終わればいい って
延々と続いて欲しい って
いつも同時に思ってる。

普通の生活が送りたい って
特別で刺激的な日々を過ごしたい って
交互に断続的に思ってる。

笑える。
笑えない。
歌える。
歌えない。

できないからする、とも限らないし、
できるからしない、わけでもない。

眠たいし、ずぅっと眠ってたいし、
真夜中からずっと起きていたいし、起きてあらゆる音を聞いてたい。

天邪鬼とも素直ともいえる。

それぞれ違う方を向くベクトル、が交わったところで
むりやり深呼吸したり、息を止めたり、

一方で、満足している、納得もしている。
ももう一方で、不満なんだろう、「よし」とも言えない。

有りか無しか、じゃないとわかってるよ。
0と1しか、みてないわけじゃない。
all or nothingと信じていたらこうしていない。

対立してるのに、共存してる、考えてる。

12

あたしは、本当に、放っておいてほしい。
限られた時間を、どう使うか、自分勝手なんでしょう?
関わりたい人と関わるし、
好きでい続けたいなら、記憶のある限り、そうあり続ける。
ひとをコントロールすることはできないから、
せめて、自分を、こうするんです。

文字の向こう側を、汲み取れないやつ多すぎる。
、でも、自分もそうかもしれない。
過去は過去、だからって全部水に流しておしまい?
その続きの今でしょ、判るから忌々しい。

ともかくも、知らない故の怖さ、見えない故の拒絶はある。
興味は、単純に、欲しいそれ欲しいという、思いだけ。

過去・現在と、リンクしようとするのは勝手です。
でも1秒後の未来と、どうさせるかは、あたしが選びます。
それは誰しも、己の取り分においては同じ、平等なはず、たぶん。


あたしが欲しいものを、あの人は持っていないし、
あの人の欲しがったものを、あたしは決して与えない。
そりゃそうでしょ、自由よ。

11

すべては自己満足、とはいいながら、
自分を喜ばせるのは案外難しい。

ちょっとした幸せに気付くこと、それを誰かと分かち合うこと、
それらだって決して普通のことではなく、無意識ではなく、
努めて とか、頑張って とは、ちょっと違うかもしれないけど、
能動的に、求めていった結果なんだろう。


あたしは飽き性で、何にしても継続が苦手で。
ネットと出会ってから日記(ブログ)というものは何度も作っては消し作っては消し、
いろいろな“登録”をしてみるけど、ひとつのところに留まったことはない。
リアルでも、習い事を最後までやり遂げたことはないし、
何処かに所属することも、自分の意志の有る無しに関係なく、辞めてきている。
自分の決定であっても、後ろ髪ひかれる思いは何度もあるんだ。
いつも、すぐ切り替えて「はいっ次ー」ってやってきたわけじゃない。勿論。
それでも懲りずに、ハジメマシテサヨウナラを繰り返す。

いいかげん、治したいところだけど、
一生変わんないだろうな~って気もする。
実際、このBlogも、生活も、新しく始めたもんだし。

何がしたいんだろう、って、自分でつっこむよ。
いろいろなSNSに囲まれて、いろいろな人間の一部を観察して、
いろいろな服を手に取り、音楽を聴いて、何もせずひきこもって、
多くを知った気になったり、無知に絶望したりする、
この“あと”は何になるんだろうって、思う。

同年代の人たちが、人生を謳歌しているというなら、
それを羨ましい、と言うより、それが普通だ、と思う。
実際、みんながみんなYesではないだろうし。
若くても、かなり年上でも、結局そう。
満足っていうと、少数派かもしれないし、
大概のひとがある程度は当てはまるのかもしれない。

「いつまでも子どもでいないで」っていう親心。
それはわかるけど、どうしてみんなのいう大人という生き物っぽくならなければならないの?
大人っぽい子どもがかわいそうっていう人は、子どもっぽい大人ももちろんかわいそう?
こういう思考が“屁理屈”なんだろうし、
よもや自分がガキであることを正当化してるように見えるなら、
それは心外だ。
自分の中で、様々な心情が分裂してる自覚はあるから。
あたしがあたしに失笑してる時もあるんだよ。

何を始めても、何を好きになっても、
「これが最高値だ」って思うことはない。
一瞬の安堵感の後には、いつも虚無感が待っている。
自分を大切に と言われると、誰かを大切にしなければという使命感が出てくる。
自分で自分をHappyに と言われると、繰り返してきた出会いと別れの中に探すけど、どんな姿かわからないから、見つけられない。


誰の為にこういうこと書くかっていうと、間違いなく自分の為なんだけど。
どこかで、「続けてよかった」って思うものに出遭うものかしら?

10

気がつきゃ1ヶ月経ってた。8月なんだね。
毎日暑いし、体温調節下手だし、
いつまでたっても夏ダイスキにはなれないんだけど、
でも今日は、風が吹いて、いつもより涼しくて、
だからなんか、書いてみようと思った。

あたしは何に遠慮してるんだろう。
父にも母にも言われる。
どうしてそんなに自分を下げてるの、と。
どうして、フェアであるはずの人に気を遣いまくってるの、と。

嫌われたくないんだと思う。
新たに手に入れたものを、自分で育てた気持ちを、
ほんの些細なことで、失ってしまうことが、怖いんだと思う。

健康や、カラダそのものや、今まで過ごしてきた日々は、
実の家族に、それまで出会ってきた人たちによって、
形作られている。これまでの自分。
では今現在は。
平穏な生活、お金、食べ物や音楽があること、
そういうものが、今まで以上に、当たり前ではなく、
しかしながら、今はまだ他人であるあの人に、“頼りきっている”、という状況。
そしてそれが、きっと、これからもしばらく(もしかしたらずっと)そうだということ。
そこに危うさを感じている。
ちょっとしたきっかけで、終わりになってしまうかもしれない日々。

 どうしてもダメな時はある。
 終わりたくなくても、終わってしまうことも。
 でもそれが、すべてを失うってことにはならない。
 失うのは長い人生のごく一部で、これから先も人生は続くんだ。
そう言われて、繰り返し言われて、
わかってる。わかってる。わかってる。
それでも、あたしは、確かに、
今を失いたくないんだって、強く、思ってる。
終わったら、自分も終わっちゃうんだって、思っちゃってるから。
いつのまにか、完全に、一人じゃ生きていけない人に、なってしまったんだね。

下手に出てるわけじゃない、本当は、フェアでありたいと思っているからね。
優しいわけじゃない、人を気遣えばストレスだって溜まるし、延々と続けられるわけがない。
永遠を信じてない。だから独りもあり得るのに、それを億劫だと思ってるのが...ね。

マイナスの努力をするつもりはないよ。
影の部分を意識すれば、そうならないように、そうならないように、と
ずっと気を張って、びくびく怯えながら、生きていくことになるかもしれない。
望みはそこにはないの。

だからね。
少しずつ、あたしを見つけていきたいの。
取り戻す、なんていうと、今が本当の自分じゃないみたいだから。ちょっと違う。
もしかしたら、現状が、本来の自分なのかもしれないし、もっと違うところに、自分の居心地の良さを見つけるかもしれない。
らしさを大切に、と言われても、わからないから、いつもしっくり来なかった。
それはいつまでもわからない難題だと思った。
あたしとは...なんて、まるで思春期のようなことを思う。
外見だけ変わって、中身はいつまでも成長してないな、とため息が出る。


でもやっぱり自分ってこうなんだーと今まさに感じてることが。
こうして、実もない話を、徒然と、書き出すことが、
あたしの思考方法なんだな。
口にする言葉は難しい。
あたしは喋りすぎるし、うるさいし、そのくせ滑舌も悪く、声も通らない。
感情が先走って泣いてしまうし、勢いだけで大事な内容が伝わらない。
どんな場面でも、何度となく同じ手法で切り出して、結果それが失敗となるパターンを繰り返す。
これでもまた口が先に出てしまうけど。。。
少し前に、伝えたいことを漫画にして伝えた。そして感想を聞くだけにする。
うまくいったかどうかはわからないけど、あたしは終始冷静でいられてよかった。
その後一度、電話で大騒ぎしたことがあるけれど、その時は怒りで声が震えるぐらいだったから、感情はよく伝わったんじゃないかな。
それはそれで、口にしてよかったという言葉もある。
最近また手紙を書いた。
この時期のあたしが如何にとんちんかんかを、事前に知ってもらっとこうと思って。
読んでもらうだけでいい。
口じゃろくに推敲もできずに、ぶつけて意図せぬ凶器になるだけだから。

こういう場所だって、きっと、同じだね。
声に出す、口にする、リアルタイムの音声も、もちろん大切にしていきたい。
でも、こうして文字にして、誰が読むかもわからない・読む人はいないかもしれないっていう前提のもと、
自分の脳の中を整理することは、これから先もあたしにはとっても重要なことなんだなあ。
とかなんとか思ったのでした。まる。

9

これからも、母は、延々と、同じことを言うだろう。

やり始める前から諦めたりしないこと。

何事もバランス感覚。きちんと話し合う。

わかりあえないと思ったら、どこかで見切りをつけることも大事。

 

そうやって、安全を願う。

わかっているよ、いつまでも、安心できていないことは。

 

有言実行、というより、有言実現。

もっと、我を強く出して、と言われた。でもそれは自分勝手ではなく。

もっと、自分の思いを叶えて、と言われた。でもそれは自己満足ではなく。

 

すべて思い通りにしたい、なんて、思ったことないよ。本当よ。

でも、小さくても、大きくても、望みはあるの。

おなじ夢を見ていても、選択肢は増えていくから

きっと、まだ見えるね。

 

 

8

また言い争ってしまう。

喧嘩をしたいわけじゃない、話し合いをしたいだけなのに。

反りが合わないのではなく馬が合わないのかもしれない。

でも、そんなの最初からわかってたことだ。

相手は私の好きな物に何一つ興味がないし、私も相手の好みは全て知らない世界だった。

だけど一緒にいる。

それが好きなんだ、それが嫌いなんだと知る。

ああいうことにテンションが上がって、ああいうことをあからさまに嫌がるんだと知る。

 

言葉が行き過ぎる。クールになりすぎる。

合理的、現実的に考えて、今を楽しむ。

言葉が足りない。情緒不安定が顕著。

理想や妄想や段取りに囲まれて、夢見がち。

ほら、私たちは、これまた全く違う生き物だ。

 

何の為に、と考え始めれば、どこまでもマイナスが零れる。

意味なんかないよ、意味なんかいるの?、と

突き放したようにいうあの冷たい目は、現在現実だけを見ている。

 

ここにいるだけでいい、と言ってた。

ちっとも笑わないで。

私はまた、怒って泣いてふてくされてあくびして、眠ったよ。